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板尾 紳助 恩人 板尾創路 島田紳助 [板尾 紳助 恩人 板尾創路 島田紳助]

多方面で活躍する板尾創路さんの原点は、元タレント・島田紳助さんだといいます。
紳助さんの自宅へ行き、いい加減な気持ちで弟子入りを申し込んだ板尾さんですが、吉本の学校を勧められ、紳助さん宅に毎日遊びに行ったという秘話もあります。

板尾創路 放送事故

-----以下、THE PAGE 2014年02月23日08時28分 より引用-----
<私の恩人>板尾創路 芸人になったのは紳助さんがいたから

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[写真]島田紳助さんとの思い出を語った板尾創路

 お笑いのみならず、映画監督、俳優としても活動するタレント・板尾創路さん。3月29日公開の映画「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」では仮面ライダー役に初挑戦するなど、50歳になった今も、ますます活動の幅を広げていますが、自らの原点は元タレント・島田紳助さんだといいます。

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 高校を卒業して、特にやりたいこともなく、今でいうフリーターみたいなことをしてたんです。大阪という土地柄もあって、お笑いは、好きは好きでした。ただ、あくまでも、お笑いは見るものであって、自分が芸人になるという発想はなかった。だからこそ、高校を出る時も、お笑いの道に進むという選択肢はなかったんです。

 ただ、フリーターを2年ほどやった20歳の頃。僕の頭にふと浮かんだのが紳助さんやったんです。僕が高校生の時に“マンザイブーム”があって、その中心となっていたのが「紳助・竜介」。高校の頃は、僕もいわゆるヤンキー。いうたら、自分らと同じような格好をして、同じような言葉を使う、ちょっと上の兄貴みたいな人が漫才をしている。そこに親近感を覚えたんでしょうね。ある日、思い立って、弟子入りに行ったんです。

 弟子入りというと、一大決心みたいな感じに聞こえますけど、正直な話、エエ加減な考えやったんです(笑)。「なんか、紳助やったら、自分らと雰囲気似てるし、うまいこと言うたら、弟子とかしてくれるんちゃうん」みたいな感じで。

 それで、当時、紳助さんが住んでいた大阪・江坂の家に行きました。夜にフラッと行ったんですけど、呼び鈴を押したら、奥様が出られまして。インターホン越しに、弟子になりたいという思いを伝えると、在宅中やったご本人に確認して「中にお入りください」との言葉が返ってきたんです。

 まず、ここで面食らいましてね。というのは、変な話ですけど、弟子入りに行ってはいるものの、どこかで「ま、門前払いみたいな感じになるやろうな…」と思っていた自分がいたんですよね。それやのに、予想外に「お入りください」となった。肩透かしというか…、なんでしょうね、前にあると思っていた壁がなくてつんのめるというか、一気にそういう感じになりましてね。

 中に入ると紳助さんがいて、いろいろ話をしてくださいました。1時間くらいですかね。僕は、もう20歳でしたから、お笑いを始めるのに決して早いわけではない。「今から誰かの弟子について、3年ほど修行して、そこから実際に舞台に立って、それで『やっぱり向いてないな…』となったら、もう25歳も過ぎて、他の仕事に就きにくくなる。だから、もし芸人を考えるんやったら」と吉本興業の学校・NSCを勧めてくれたんです。さらに「ほんで、学校行きながら、いつでもウチに遊びに来たらエエねん」とも言ってくれた。

 あると思っていた壁がなくてつんのめって、そのまま前にコケたら、この世界に入っていたみたいな感じでした。紳助さんに門前払いされてたら、案の定という思いもありながらも、「断りやがって、紳助のボケ!!」と吐き捨てて、それっきりお笑いの世界と接点を持つことはなかったと思います。

 今から思うと、当時の僕なんて、まだまだヤンキーの雰囲気も残ってましたし、見た目も、しゃべり方も、ムチャクチャやったと思うんです。そんなヤツがいきなり家に押しかけてきたのに、それだけの言葉をかけてくれた。自分が後になって思うことですけど、そら、なかなかできることやないなと思います。

 それから、NSCに入って、ホンマに日々遊びに行くようになるんです。特に何をするわけでもないんですけど、地元の先輩の家に遊びに行くように行ってました。師匠と弟子ではないですし、本当に一緒にご飯を食べて、ワーワーしゃべって…ということなんですけど、その中で、仲間を大切にすることや、才能があっても努力せなアカンということ、芸人はいつまでもしがみついている仕事ではなく才能がなかったら辞めるのも勇気だということ…などなど。紳助さんが何気なく言うてたことから、たくさんのことを教えてもらいました。

 それと、弟子ではないので、芸名をもらったわけではないんですけど、ほんこんさんと僕のコンビ名「130R」は、もともと紳助さんの個人事務所の名前やったんです。そもそもでいうと、バイク好きの紳助さんが鈴鹿サーキットのコースにある厳しいカーブから名前をとって事務所の名前にしたんですけど、僕らもバイク好きやったんで「それをコンビ名にさせてください」とお願いしたんです。

 ありがたいことに、僕らが大阪でちょっとずつ名前が売れてきた頃、紳助さんに言われました。「店で領収書もらう時に『あて名は(個人事務所の)130Rで』と言うたら、店員がクスッと笑いよるんや。それとな、そのあて名で領収書をもらうということは、まるで、俺がお前らにカネを出してもらって、おごってもらってるみたいに思われるやないか」と。

 僕らが世間に知ってもらったからこそ起こったこの話を、実にうれしそうに言うてくれるんです。それが、何ともいえず、僕らにとってもうれしかったです。

 (2011年8月23日の)引退会見をされてから、実は、まだお話をしていないんです。もう辞めはった人ですし、こちらから会いに行くというのも、お邪魔というか、差し出がましいというか、そぐわないというか…。ただ、紳助さんがいなかったら、この世界にも入ってないですし、今の自分はなかった。

 もし恩返しということがあるならば、これからも頑張ってやっていく。行き着くところ、僕ができるのはこれしかないんですよね。

(聞き手・文/中西正男/株式会社KOZOクリエイターズ(https://www.facebook.com/kozo.GNN))

■板尾創路(いたお・いつじ)
1963年7月18日生まれ。大阪府富田林市出身。高校卒業後、アルバイト生活を経験したのち、85年に4期生として大阪NSCに入学。87年に同期のほんこんとのコンビ「130R」を結成する。フジテレビ系「ダウンタウンのごっつええ感じ」などをきっかけに、活動の拠点を東京に移す。映画「私の奴隷になりなさい」(2012年)などで俳優として活動する一方、監督として映画「板尾創路の脱獄王」(2010年)、「月光ノ仮面」(2012年)のメガホンも執る。NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」などに出演中。2月26日には、板尾の日常を綴った人気シリーズ「板尾日記9」を発売。3月1日には刊行記念サイン会(午後1時15分からと同3時45分からの2回。各回先着70人まで)を東京・ルミネtheよしもとで行う。

■中西正男(なかにし・まさお)
1974年大阪府生まれ。大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。
-----以上、THE PAGE 2014年02月23日08時28分 より引用-----

がんばれ~!板尾創路 島田紳助!
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